桐陰会歌
作詞 山根磐(12回)、宮島秀夫(12回)
作曲 鈴木米次郎(旧教官)
1 春湯陵の花の陰 秋茗渓の月の下
飛びかふ胡蝶は風に舞ひ 下行く水は楽奏づ
慈愛平和に充ち満てる 自然の寵児我なるぞ
注 湯陵=湯島の丘。創立当時本校は湯島の昌平黌内にあった。また、中国では殷の初代の聖王、湯王の陵(墳墓)のこと。
茗渓=湯島の昌平黌の前を流れるお茶の水の旧称。
胡蝶=ちょうのこと。『荘子』の「夢に胡蝶と為る」の話を踏まえる。
寵児=申し子。
訳 春は湯島聖堂の花の陰で憩い、秋はお茶の水の月の下で遊ぶ。
春、飛び交う蝶は風に気持ちよく舞い、秋、お茶の水の流れは妙なる楽を奏でる。
慈愛の精神と平和の精神に溢れる、自然の申し子、それが我々生徒である。
2 四海干戈の音やみて 文華の光見えそめし
元和偃武の古を 思ふ学の窓の下
昌平黌の跡問へば 今も梢に仰ぐべし
注 四海=世の中。
干戈=戦争のこと。「干」は「たて」、「戈」は「ほこ」のこと。
文華の光=文明の光。
元和偃武=元和元年(1615年)大阪夏の陣を最後に戦乱がやみ、平和になったこと。「偃」は「止める」意。
昌平黌=湯島にあった昌平坂学問所のこと。
訳 世の中から戦争の音がやみ、文明の光が見え始めた、
元和偃武の昔を、しみじみと思うこの学舎の窓の下。
その昌平黌の跡を訪ねると、今も梢の間に平和の昔を振り仰ぐことができる。
3 歴史の因み地理の縁 此の学園ぞ浅からぬ
力山抜く英雄も 気は世を蓋ふ豪傑も
心の根ざし誰とてか 幼時の教によらざらん
注 力山抜く英雄も=『史記』の「項羽本紀」にある名文句。項羽の作った詩とされる。
気は世を蓋ふ豪傑も=同上。
訳 歴史の因縁や地理的な因縁は、本校は浅からぬものがある。
力は山を根こそぎ引き抜くような英雄でも、気力が世を圧倒するような豪傑でも、
その心の根本の所は、すべて幼少時代の教育によるものなのである。
参考 項羽の詩
力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何
4 鳳雛未だ羽生えず 梧桐の上に霊気蔽ふ
稚龍今なほ雲を得で 茗渓のほとり紫雲立つ
図南の翼打ち張りて いづれの日にか昇るべき
注 鳳雛=鳳のひな。
梧桐=青桐のこと。鳳凰は梧桐の木にしか止まらないとされる。
稚龍=子供の龍。
図南=『荘子』の中の「鵬」の話に基づく。「北の暗い海に巨大な魚がおり、鯤と名付けられていた。ところが、この鯤
がある時、変身して鵬となり、南の海を目指して飛び立った」という話から。偉大な雄飛を目指すことを「図南」
というようになった。
訳 将来鳳凰になるべき者もまだ雛の状態で羽も生えそろっていず、梧桐の上には神聖な霊気が漂っている。
やはり将来龍になるべき者もまだ、飛び立つための雲を得ていず、茗渓のあたりには神聖な紫雲がたなびいている。
偉大な雄飛を目指して翼を思い切り広げ、いつかは必ず天に昇ってゆくであろう。
◎ 全体として、漢文(とくに老荘思想)や歴史に典拠を求めた詞で、当時の生徒の造詣の深さが偲ばれる。
(解説 本校教官 渡辺 雅之)