筑波大学附属高等学校

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        桐陰会会歌
  作詞:山根磐、宮島秀夫(いずれも12回生・1903年卒)  作曲:鈴木米次郎(旧教官)
1.
湯陵(とうりょう)の花の陰
茗渓(めいけい)の月の(もと)
飛び胡蝶(こちょう)は風に舞ひ
下行く水は楽(かな)
慈愛平和に充ち満てる
自然寵児(ちょうじ)なるぞ
 
  2.
四海干戈(しかいかんか)音止みて
文化の光見え初めし
元和偃武(げんなえんぶ)(いにしえ)
想ふ学びの窓の(もと)
昌平黌(しょうへいこう)の跡()へば
今も(こずえ)仰ぐべし
 
3.
歴史の(ちな)み地理の(えん)
この学園ぞ浅からぬ
山抜く英雄も
気は世を(おお)ふ豪傑も
心の根ざし(たれ)とてか
幼時(ようじ)の教へによらざらん
 
  4.
鳳雛(ほうすう)(いま)だ羽生えず
梧桐(ごとう)の上に霊気(おお)
稚龍(ちりゅう)今なほ雲を()
茗渓(めいけい)のほとり紫雲(しうん)立つ
図南(となん)の翼打ち張りて
いづれの日にか昇るべき
 

【注】
 
湯陵=湯島の丘。創立当時本校は湯島の昌平黌内にあった。
   また、中国では殷の初代の聖王、湯王の陵(墳墓)のこと。

茗渓=湯島の昌平黌の前を流れるお茶の水の旧称。
胡蝶=ちょうのこと。『荘子』の「夢に胡蝶と為る」の話を踏まえる。
寵児=申し子。

四海=世の中。
干戈=戦争のこと。「干」は「たて」、「戈」は「ほこ」のこと。
文華の光=文明の光。
元和偃武=元和元年(1615年)大阪夏の陣を最後に戦乱がやみ、平和になったこと。「偃」は「止める」の意。
昌平黌=湯島にあった昌平坂学問所のこと。

力山抜く英雄も=『史記』の「項羽本紀」にある名文句。項羽の作った詩とされる。
気は世を蓋ふ豪傑も=同上。
 参考 項羽の詩
  力抜山兮気蓋世  時不利兮騅不逝
  
騅不逝兮可奈何  虞兮虞兮奈若何

鳳雛=鳳のひな。

梧桐=青桐のこと。鳳凰は梧桐の木にしか止まらないとされる。
稚龍=子供の龍。
図南=『荘子』の中の「鵬」の話に基づく。「北の暗い海に巨大な魚がおり、鯤と名付けられていた。
   ところが、この鯤がある時、変身して鵬となり、南の海を目指して飛び立った」という話から、
   偉大な雄飛を目指すことを「図南」というようになった。

【現代語訳】
 
1.
春は湯島聖堂の花の陰で憩い、
秋はお茶の水の月の下で遊ぶ。
春、飛び交う蝶は風に気持ちよく舞い、
秋、お茶の水の流れは妙なる楽を奏でる。
慈愛の精神と平和の精神に溢れる、
自然の申し子、それが我々生徒である。
  2.
世の中から戦争の音がやみ、
文明の光が見え始めた、
元和偃武の昔を、
しみじみと思うこの学舎の窓の下。
その昌平黌の跡を訪ねると、
今も梢の間に平和の昔を振り仰ぐことができる。
     
3.
歴史の因縁や地理的な因縁は、
本校は浅からぬものがある。
力は山を根こそぎ引き抜くような英雄でも、
気力が世を圧倒するような豪傑でも、
その心の根本の所は、
すべて幼少時代の教育によるものなのである。
  4.
将来鳳凰になるべき者も
まだ雛の状態で羽も生えそろっていず、
梧桐の上には神聖な霊気が漂っている。
やはり将来龍になるべき者もまだ、
飛び立つための雲を得ていず、
茗渓のあたりには神聖な紫雲がたなびいている。
偉大な雄飛を目指して翼を思い切り広げ、
いつかは必ず天に昇ってゆくであろう。
 全体として、漢文(とくに老荘思想)や歴史に典拠を求めた詞で、当時の生徒の造詣の深さが偲ばれる。
                                       解説:渡辺雅之(本校教員)