中国北京市高校との相互交流(2011年度)

北京市高校との交流は、イオン1%クラブの社会貢献事業「日中高校生交流小大使(ティーンエイジ・アンバサダー)事業」として2009年に始 まった。そのためこの交流に要する費用は、全てイオン1%クラブの支援による。
交流は、北京市より男女10名ずつ合計20名の高校生を受け入れ、通常授業参加、ホームステイ交流などの交流。同様に、附属高校からも同数の生徒が北京市を訪れ、来校した北京市側の生徒の家に1日ホームステイ、その他の活動を行った。第1回は附属高校のみで行われたが、第2回か らは「日中高校生交流事業」として学芸大学附属高校が加わった。

【第3回日中相互交流・「日中高校生交流事業」】

〈北京市より来校 7月12日〉
第3回となる2011年度の交流は、7月にまず北京市の4校より計40名が訪れた。3月に起きた震災後の原発事故を受け、当初、北京市側のこの交流 実施への方向が危惧された。が、過去2回の高い評価から、万難を排して実施したいとの意向が寄せられ前記の高校生が来日した。半数の20名は本校、半数の20名は学芸大附属高校へと別れての学校交流。附属高校での交流では各クラスの通常授業への参加、また第二外国語で中国語を選択する生徒との中国語をメインとした会話、そして部活参加などの活動を行った。

〈北京市を訪問 10月9日~16日〉
筑波、学大それぞれの附属から集まった39名が羽田から日航機で北京入り。機内では本校卒業生がキャビンアテンダントとして搭乗していて声をかけてくれた偶然もあった。北京空港で北京市政府側の出迎えを受け、王府井近くのホテルへ。そこで今後の予定のレクチャーを受け、北京市における交流活動が始まった。
-学校交流-
学校交流は、北京師範大第二附属中学、月壇中学、汇佳中学の3校。北京師範大第二附属と附属高校とは北京師範大と筑波大学との交流協定の下、 姉妹校の関係にある。そのため、第1回からずっと交流を続けている。また月壇中学は日本語の授業を行っていることから、この学校とも第1回からずっと交流を続けている。今回新たな交流先は汇佳中学。
汇佳中学は中国ではまれな民間学校と設立され、小学校から全員寮生活、英語による授業など独特の教育を行っている。敷地は寮の食事を賄ったり 実習のための農地を含めると、日本の山手線の内側と同じ広さの校地を有している。生徒のための専用の内科や歯科医療施設が設けられているとい う日本にはちょっとない学校である。
汇佳中学では、盛大な歓迎会やキャンプファイアーでの交流や英語での通常授業を体験するなどした。汇佳中学の生徒の寮に1泊する生活も体験し た。
-北京市・政府機関訪問-
北京市政府、中国外交部(外務省)、日本大使館をそれぞれ表敬訪問した。
北京市政府では北京市の郭金龍市長の歓迎の挨拶を受け、記念品の交換、中庭での記念撮影などを行った。別の日には市政府外事弁公室主催の昼食 会が催され、生徒は豪華な中国料理、中でも大皿に盛られた北京ダックを、最後には残してしまうほど腹いっぱいに味わったのはかなりの贅沢だっ た。
-中国外交部訪問-
中国外交部では、崔天凱副部長(副大臣)の歓迎の挨拶を受け、全員で記念写真や記念品の交換を行った。崔氏は、この交流第1回の時の駐日中国大使であり、その時の中国大使館での歓迎会では気さくに記念写真につきあってくれた。今回も日本の閣僚との会談前の忙しい中で日本の高校生のために特に時間を割いてくれた。崔氏は「つくばにも言ったことがありますよ」と親しく言葉をかけられた。
-日本大使館主催歓迎会-
日本大使館での歓迎会は昨年から。日中の若者同士の交流こそ大切と考える、民間氏出身の丹羽宇一郎氏が大使になってから実現したものだ。丹羽 大使は、歓迎会で日中双方の高校生を前に、「日本と中国とはどんなに喧嘩しても仲よくしていくしかない関係にあるのです」と、日中関係の在り 方を語った。そしてまた、2012年の日中国交回復40周年では、この高校生交流を記念行事の一つにしたい、との方向を明示された。(在中国日本大使館にはHPがある。)

この「日中高校生交流事業」では、他の施設見学や史跡見学、またホームステイやホテルでのお別れ会等活動が目白押し。やや忙しかったものの最 終日のお別れ会では両国の高校生とも別れがたくて何度も終了の時間を伸ばさねばならぬほど。7月と10月の相互交流は両国の高校生に深いつなが りをつくった。